日記
5歳息子の川崎病の治療の記録
「子供が39度近く熱が出て小児科に連れて行ったの」夜遅く会社から帰ると妻がそう話してくれた。
これが川崎病との治療がはじまるキッカケだった。
僕には5歳になる幼稚園児の子供がいる。
よく食べよく遊び元気な息子だ。
その息子が高熱を出したので小児科で診てもらったという。
扁桃腺が腫れているとのことで、
抗生物質を処方された。
■2日目
抗生剤の服用しているのに熱が全然下がらない。
朝一で同じ小児科へ連れて行った。
小児科の先生は、他の病気の疑いもあるから
もし夕方まで熱が下がらなかったらもう一度病院へ
来るようにとのこと。
夕方まで様子を見るもやはり熱が下がらない。
40度近い熱がずっと続いていて
息子もかなりしんどそうである。
朝行った小児科へ連れて行ったら、
水曜日でいつもより診療時間が短く診てもらえなかった。
しかたがないので救急病院に連れて行った。
そして診断結果は
「おたふく」
とのこと。
言われてみれば確かに首元の方が膨れ上がっている。
とりあえず原因がわかって一安心し家に帰った。
■3日目
翌朝、息子の熱は40度を超えた。
妻がどうしても様子がおかしいと、最初に診てもらった
小児科へ連れて行った。
診断結果は、
「リンパ節炎」と診断。
おたふくではなかった。
緊急入院が必要とのことで、大きな病院を紹介された。
点滴と抗生剤を投与されていた。
■4日目
大きな病院へいき、そこでの診断結果は
「川崎病」だった。
名前は聞いたことあるが、どんな病気かは知らなかった。
4歳くらいまでの小さな子供にかかる病気で
原因はいまだ不明なのだという。
ガンマグロブリンという薬剤を投与され
熱を下げるための治療をした。
投与完了後、24時刊で熱が下がるとのこと。
看護師さんが1時間毎に体温測定や血圧を測定しにくる。
熱は40度くらい、脈拍は150を超えていた。
唇がガサガサだったのでリップクリームを塗ってあげた。
そして追い打ちをかけるように下痢が続いた。
息子は5歳でおむつもとうの昔に外れていたのだが、
漏らしてしまうのでオムツで過ごすことになった。
■5日目
ガンマグロブリンで熱は下がったが、
24時間立たない内に熱が再度あがった。
つまり効かなかったのだ。
次の治療へ進める必要があるとのことで、
さらに大きな病院へ救急車で搬送された。
■6日目
レミケードと呼ばれる薬剤を投与した。
これで80%の患者は半日後には熱が下るとのこと。
翌日、熱は下がったが再度熱が上がった。
これも効かなかったのだ。
■7日目
川崎病には治療法が3ステージにわかれているという。
僕の息子は3ステージ目の治療をしても効かなかったため、
最終手段の「血漿交換」になるとのこと。
全身の血液を綺麗なものと入れ替える大きな治療だ。
首筋に穴をあけ管をとおし、翌日の血漿交換の準備をした。
■8日目
血液浄化センターというところに運ばれ
血漿交換が開始された。
治療の様子を診ることができるのだが、
妻はそんな息子の姿は見れないと表で泣いていた。
およそ5時間後に治療が終わった。
■9日目
翌朝、熱が劇的に下がった。
初めて効果のあった治療だった。
しかし夕方になるとまた熱が上がる。
先生と相談した結果、
もう一度、血漿交換をすることになった。
■10日目
2回目の血漿交換も無事終わった。
熱は36度にまで下がった。
息子の顔色もよくなり、ボロボロだった唇も綺麗になってきた。
食事も食べれるようになり元気になった。
■13日目
無事退院することができた。
2週間もベットに寝たきりだったので、
息子はまともに歩くことができなかった。
体はやせ細り、手と足が信じられないくらい細くなっていた。
それでも頑張って治療を受けて
元気になった息子に涙が止まらなかった。