サラリーマンへの絶望

過労死が頭に浮かぶほどの残業

過労死という言葉の意味が、
なんとなく理解できた。



千葉へ異動してきてすぐに、
僕はあるプロジェクトへの参加を
命じられた。


プロジェクトは半年後までに
新たなシステムを構築し全国の部署へ
公開し運用を開始するとのこと。


プロジェクトメンバーは僕を含めて4人。

その内の2人は最近まで僕と同じように現場で
仕事をしていた人間で、システム系に関しては
素人と同然である。


僕はプログラム開発の担当を命ぜられた。

それはなぜかというと会社の上司から、

「プログラム組んだことある?」

と聞かれ、

僕は大学時代に授業で少しだけ習ったこと
があると答えたのがきっかけである。



だからといって実践で通用するはずもなかった。


実力試しと言われて先輩から

「1~10を順に足して「55」の値を導く
 プログラムを作ってみて」

と言われ、頭が真っ白になった。


このプログラムの作成に1週間もかかった
のは、今でも伝説である。



そんな知識・実力レベルでも
やるしかなかった。


日常業務は勤務時間に終わらせ、
時間外はプログラム開発と自己学習。

不安とプレッシャーも入り混じりながら、
毎日が残業の連続だった。



そして半年後、
システムの運用を開始した。。。



結果は最悪だった。



全国の部署から

「システムへ接続できない」

「動作が遅すぎる」

「異常終了した」

など、クレームの嵐である。


僕ら4人のメンバーでクレーム処理と
不具合の対応にあたった。


システムを動かさないと全国の業務が
止まってしまう。

その責任の重大さから
僕らは24時間体制で対応した。


先の見えない仕事に心も体も
ボロボロになった。


一生懸命やってきたのに、
なんでこんな目に合わないといけないんだ。
そんな愚痴も言いたくなる。



仕事は結果と言われればそれまで。
でも、会社のやり方にも不満はある。


なぜその重要なシステム立ち上げに
素人を使ったのか。


たった半年という期間の短さ、
そして4名という少人数。


計画に無理があったと言わざるおえない。




全国の部署からは毎日のように不満や文句、
所内からは「できない人間」みたいな目で
見られる。


なんのために仕事をしているのか
よくわからなくなった。


こんな思いはもう絶対にしたくない。

僕は仕事の事で熱くなることはほとんどない。
でもこの時ばかりは、

「いつか見返してやる」

そんな思いが沸々と立ち込めた。