不妊治療を決意し離婚の危機を乗り越えた


不妊治療

「不妊治療を受ける決断」は本当に大変だった。

僕は会社に入社して2年後の25歳の時に
同い年の彼女と結婚した。

自分でも早く結婚した方だと思う。


新婚の間は旅行に行ったり買い物にいったり、
本当に自由そのもので楽しかった

ずっとこんな生活が続けばいいのにと思っていた。


でも結婚して数年が経過すると、

「子供は作らないの」
「まだ子供ができないのか」
「子供は可愛いぞ」

と、親や友人、会社の同僚が聞いてくる。


僕たち夫婦はなんとも思ってないのに、
周りからそんなことばかり言われるのが嫌だった。


子供が欲しくなかったわけではない。

僕たちは恋愛期間が少なかったことや、
遠距離恋愛の時期もあったりであまり遊んでなかった。


だから2人で思う存分楽しんで、
やり尽くしたら子供の事を考えようと決めていたのだ。


そんな中である事件が起こった。


僕の親父から突然電話がかかってきて
こんな言葉を吐いたのだ。

「お前のところはまだ子供ができないのか。嫁は病気か?」

妻が不妊なのではと言い放ったのだ。


僕は怒りに震えた。

いくら親でも言っていいことと悪いことがあると。

僕はブチ切れて電話を切った。


すると妻が隣で泣いていた。

電話から親父の声が漏れて話の内容が
聞こえていたようである。


この事件をキッカケにお互い不妊について
考えるようになってしまったのだ。


結婚して5年がたった。


この頃からお互いが「子供を作ろう」という
気持ちになり、基礎体温を図るなどして
真剣に子作りに取り組むようになった。


その気になればすぐに子供ができると
内心は思っていた。


しかし、いくら頑張っても子供ができない。

真剣に子作りに取り組むようになって2年。


僕たちは本当に不妊なのか。

妻も少しずつ元気をなくしていっていた。
もしかしたら妻は離婚まで考えてたかもしれない。


このままではいけないと、
僕は勇気をもって妻に言った。


「不妊治療を受けてみないか。もちろん僕も受ける」と。


妻は驚いた顔をしていたが、快く了承してくれた。


それから不妊治療をするために専門の病院へ通うようになった。


検査の結果、僕も妻も大きな問題はないとのこと。

念のため妻は卵管を通す施術を受け、
あとは性交の時期が医師から指示された。


その結果、なんと1回の性交で妊娠したのだ。

お腹の子供は順調に育ち、32歳の時に長男が生まれた。


いま思い返すと、不妊治療を受けようと言わなかったら、
妻がそれを了承してくれなかったらいまの長男はいなかったかもしれない。


少しの勇気と行動を起こすことで
人生は変わることを思い知った。

メールアドレス

プロフィール

デュアリーマン ハマケン

デュアリーマン:ハマケン

人気記事
カテゴリー
ハマケンの経歴
history

ページの先頭へ